「老人と海」誕生秘話

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朝の始まり、海とともに

年齢を重ねると、なぜ朝の眠りが浅くなるのでしょうか。もしかすると、自然が「1日をもっと長く楽しめ」と与えてくれた配慮なのかもしれません。夜明けの薄明の中で海へと向かう漁師たち。彼らはこうして新しい1日の始まりと人生の1ページを開いていきます。

グレゴリオ・フエンテスとアーネスト・ヘミングウェイ
グレゴリオ・フエンテスとアーネスト・ヘミングウェイ

『老人と海』の物語

広大な海の真ん中で、老人が巨大な魚と格闘しています。『老人と海』において、老人と魚の戦いに多くのページが割かれていますが、それは決して退屈ではなく、読者さえも漁師となり、釣り糸を握っているような錯覚を抱かせます。肩や腰に力が入り、手首がじんじんと痺れる感覚まで伝わってきます。老人の全てが古びていましたが、青い海のような彼の瞳だけは、生気と不屈の意志に満ちて輝いていました。

タバコを吸うグレゴリオ・フエンテス
タバコを吸うグレゴリオ・フエンテス

フエンテスとヘミングウェイの出会い

104歳で永眠したグレゴリオ・フエンテス(Gregorio Fuentes)は、ノーベル文学賞受賞作家アーネスト・ヘミングウェイが小説『老人と海』を書く上で大きな影響を与えた人物として知られています。フエンテスは、数年間ヘミングウェイの船「ピラー号(Pilar)」の船長を務めました。

船長グレゴリオ・フエンテス

ヘミングウェイの小説には「サンティアゴ」という名の老人と「マノリン」と呼ばれる漁村の少年が登場します。フエンテスは、この2人の主人公がいずれも自分の姿を投影したものだと主張していました。この小説は、キューバの漁村コヒマル(Cojimar)を舞台に、巨大なカジキマグロとの英雄的な格闘、そして漁村の少年との友情を描いた物語です。

フエンテスの人生とヘミングウェイとの縁

フエンテスは1904年、カナリア諸島からキューバへ移住しました。当時彼は6歳で、航海中に父親が亡くなり、アフリカの地に埋葬されたといいます。フエンテスは、スペインからキューバに渡った移民に混じり、たった一人でキューバに到着しました。到着後は漁師たちが捕まえた魚を処理したり、漁師の雑用をしながらその日暮らしをしていました。

成人した後、フエンテスはハバナから漁村のコヒマルに移り、自ら漁を始めました。また、荒波のメキシコ湾を通過する貨物船の水先案内人としても生計を立てていました。ある日、沈没しかけた小型船の救難信号を受け取ります。それがアーネスト・ヘミングウェイの船だったのです。フエンテスはその船を救助し、安全な場所であるフロリダ西方のドライ・トルトゥガス(Dry Tortugas)諸島まで曳航しました。この出会いをきっかけに、ヘミングウェイがキューバに滞在している間、2人はともに仕事をする仲となりました。

グレゴリオ・フエンテスとアーネスト・ヘミングウェイ
グレゴリオ・フエンテスとアーネスト・ヘミングウェイ

『老人と海』誕生の秘話

フエンテスによると、彼が53日間何も釣れなかった後、大きな魚を6匹捕らえた帰り道でサメに襲われ、全て失った話をヘミングウェイに何気なく語ったそうです。漁師である彼にとってはよくある話だったため日常的に話したに過ぎませんでしたが、それを聞いたヘミングウェイは「その話を小説にしたい、許可をくれたら報酬を支払う」と言いました。フエンテスは「金は要らないが、食事と酒を奢ってくれれば許可する」と答え、それで合意したといいます。

酒場にいるフエンテスとヘミングウェイ
酒場にいるフエンテスとヘミングウェイ

しかし、この小説が大成功を収めると、ヘミングウェイは後にフエンテスを訪ね、感謝の印として2万ドルを渡しました。当時のアメリカの労働者の7年分の給与に相当し、自動車12台分や立派な家2軒分に値する巨額の金額でした。キューバの物価で考えればさらに途方もない価値がありました。フエンテスは「以前に食事と酒だけで良いと言っただろう?要らない」と拒否しようとしましたが、ヘミングウェイは「これは感謝の気持ちだ。この小説でその何十倍も稼いだ。好きに使ってくれ」と言い、強引に置いていったといいます。

フエンテスはこのお金を30年以上にわたって使い、古い船を新しいものに買い替えるなど有効活用しました。ヘミングウェイの訃報を聞いたときには深く悲しみ、そのお金で買った船に乗り、静かに海を眺めながらヘミングウェイを偲んだといいます。

グレゴリオ・フエンテス
グレゴリオ・フエンテス


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